震災から26年
みなさん、こんにちは
埼玉県北本市の「障がい者福祉施設」
就職・再就職をサポートする
「就労移行支援事業所」
「てんとうむし北本」スタッフの春木です。
今回は26年前の1月17日に起こった阪神淡路大震災について少し書きたいと思います。
その当時、私はまだ大阪に住んでいました。
マンションの7階に住んでいました。
長女はまだ1歳にもならない、次女はまだお腹の中にもいませんでした。
その時間、まだ寝ていたのですが、地鳴りのような音に目が覚めました。
地震はその直後きました。
ドンと突き上げるような振動の後、すごい揺れ、
長女を抱きかかえて、じっと地震が終わるのを待っていました。
本当に恐ろしかったです。
我が家は、幸い家具などの倒壊はなかったのですが、
同じマンションの他の部屋の方々は、食器棚が倒れたりしていました。
壁にヒビが入りました。
一度大きな地震が来ると頻繁に余震が来るという事を知りました。
観賞魚がいる水槽の水が大方溢れてしまいました。
まず、主人が最初にしたことは、観賞魚の水槽を押さえる事(^▽^;)
何考えてるんだ?この人・・・とは思いましが・・・
主人には主人なりの理由があったようです。
その後、慌てて両親の安否を確認して、ほどなく電話が使えなくなりました。
私の住んでいたところは、午前中停電になりました。
寒い時期に暖房器具が一切使えなくなり、凍えました。
電気に頼りすぎてはいけないなと本当に実感しました。
主人は水槽を押さえてびしょびしょに濡れたので余計凍えたようです(笑)
停電がおさまり、テレビをつけると神戸の状況が・・・
あまりの酷さにショックでした。
阪神高速が潰れていました。
地震の後の火事で、亡くなった方も多くいたと聞きました。
震災後1ヶ月程して、主人が仕事で神戸に行ったとき、
建物が斜め向いていたり、道がうねっていて、その光景に酔ったと話していました。
私は、神戸の震災の映像が強烈すぎて、しばらく神戸を訪れることが出来ず・・・
訪れる事のないまま、主人の転勤で札幌に行くことになりました。
その後、東日本大震災にも遭遇してしまうのですが・・・
もう二度とこのような震災が起こりませんように・・・