「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」
皆さま、こんにちは。てんとうむし北本利用者のS・Mです。
師走
寒冷の候、お布団から出るのが億劫に感じる季節の到来です。
唐突ではありますが、喜劇王「チャールズ・チャップリン」をご存知でしょうか❓
学生時代に、歴史の教科書や授業で見たことや学んだ事がある方も居るのではないでしょうか。
知らない方の為に、軽くではありますが「チャールズ・チャップリン」についてお話します👇👇👇
本名は「サー・チャールズ・スペンサー・チャップリン」、「チャーリー」の愛称で親しまれました。
幼少期に、両親の離婚、父はアルコール依存症、母は精神病で施設に収容され、チャップリンは異父兄のシドニーと一緒に
孤児院や救貧院を移動しながら壮絶な極貧生活を送ります。お金を稼ぐ為、床屋や新聞売りなど色々な仕事を経験しました。
チャップリンは、異父兄のシドニーの紹介でパントマイムの名門「フリッド・カーノー劇団」に入団し、アメリカ巡業中に
映画業界からスカウトされ、1914年キーストン社で映画デビューをします。その後、数々の移籍を重ね、チャップリンは、
1919年にはユナイテッド・アーティスツを共同設立し、自身の作品を完全に管理出来るようにします。
1920年代に長編映画を作り始め、「キッド」「黄金狂時代」「街の灯」「モダン・タイムス」などのサイレント映画を発表しますが、
「独裁者」からはトーキー映画に完全移行します。
チャップリンは、俳優・監督・プロデューサーのすべてを自らこなし、生涯で81作品を「無声映画は世界に通ずる」とサイレント映画を
貫いてきましたが・・・戦争の世紀、激動の時代、戦時下で命の危険も顧みず、反戦を訴える作品として「独裁者」を発表します。
ヒトラー政権を痛烈に批判し、ラスト6分に及ぶ演説シーンは賛否両論を呼んだものの、映画史に残る名場面です。
しかし、1940年代に私生活のスキャンダルと共産主義的傾向の疑いで避難され、人気が急速に低下し、1952年「ライトライム」の
プレミア上映の為ロンドンへ渡航中、アメリカへの再入国許可を取り消されます。
その後1977年スイスに移住、12日25日の早朝に脳卒中のため88歳で亡くなります。
これが、大まかではありますが、チャップリンの生涯になります。
なぜ、今回、私がチャップリンにスポットライトを当てたかといいますと・・・
「”life is a tragedy when seen in close-up. but a comedy in long-shot. ”(人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ)」
私はこの言葉に救われ、私の人生を語る上で大切なバイブルの一つである為ご紹介しました。
皆さまにも、「どうして、私ばっかり・・・」と思ってしまい、つい悲観的になってしまう瞬間や経験があるのではないでしょうか。
私は思います、それは目の前の事柄に必死で真剣に生きている証拠だと。でも、それはとても苦しく辛い時間でもありますよね・・・。
自身を痛烈に批判してしまったり、本来なら傷つけたくない人を傷つけてしまったり、世の中を恨んだり、悪循環でもあります。
そうなった時は、すこし遠くを見てみてください。
空は何色ですか❓ どんな音が聞こえますか❓ どんなに香りがしますか❓ 目の前の人はどんな顔をしていますか❓
今、アナタは笑えてますか❓ ・・・ 見えなかったものが見えてくるはずです。
空にはうろこ雲、木々の揺れる音、どこかの家の夕飯のいい香・・・人間にはそういう時間が意外と大切だったりします。
「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」
目の前の出来事や過去の苦しみを近くで見ると「悲劇」かも知れません。ですが、一歩下がってその「悲劇」を見てみたら
「私、こんな事でずっと悩んでたの~❕変なの❕」と笑えてくる「喜劇」かもしれません。何事も視点を変えてみるのが、重要だと私は思います。
目線が違えば、見えるものも変わってきます。
チャップリンの人生は、決して順風満帆とは呼べるものではなかったけど、こんなに魅力的で、面白い人生を生きた人も少ないのではないでしょうか。
まさに「喜劇王」だと思います。
誰かの為に頑張れる人は、凄い人です。それが、自分の為でもいいと思います。自分の為にやっていた事が誰かの為になることもあります。
寒くなり、落ち込む時間も増えてきたと思います。そんな時は、温かい飲み物を用意して、自然や好きな媒体を見てください。
近くで見ていたものが、遠くから見たことで「こんなことで悩んでたの」とちっぽけに思えるかもしれません。
以上、今回のてんとうむし通信でした。最後まで読んでいただきありがとうございました。