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お世話になっております利用者です。

ただ思うことを書きたいです。
でも、一番書きたいことは愚痴と批判です。
私の頭の中は、それらが飛び出しそうな程に溢れています。

でも、ここではそれを控えます。
このブログは、ここ【てんとうむし北本】のブログです。

だから我慢して、病気に絡めたことを書かせていただきます。

私は身体障害者です。
進行する小脳の病気で、体幹機能障害、下肢不自由による歩行困難です。

ここ数年で、癌などの病気も複数経験しておりますがその他は、長くなりますので割愛させていただきます。

最近は身体の不調で、検査のために複数の病院にお世話になっております。
慣れたつもりが、今回は特に疲れています。

リンパ腫を切除することは、ほぼ決まっています。
「また病気かよ…。どっちの病気だよ?」

そんなババ抜きゲームのような気分で、結果を待ちながら日々を過ごしております。

通院は、いつもママチャリです。
私は歩行困難ですが、自転車に乗ることは出来ます。
体幹部の強張りと痛みを生じますが、脚をクルクル回すだけですから、体の反射は起きません。

掛け持ちの通院は、50キロを超えることもあります。
脚をクルクル回して、風景を眺めながら、暑い日、寒い日、風の日も走ります。

車は乗りません。
壊れた小脳の指令で、余計な筋肉が動き出すからです。
それと処方する薬は、「車の運転は控えてください」

そんな薬をいくつか服用しています。
だから車には乗りません。

交通機関は、それ程利用しません。
大宮、熊谷、それくらいの距離は、リハビリを兼ねてママチャリで移動します。

交通機関を避ける理由がいくつかあります。

駐輪場から駅までの移動、ホームに辿り付くまでには、歩行と、階段の上り下りが関わります。

階段では、もちろん危険回避のために手すりが必要です。
上りは、手すりでバランスを保つ程度ですが、下りは恐怖です。

だから身体に反射刺激を与えないように、ゆっくりと次の一歩を踏み出します。

身体が暴れたら手すりを持ってこらえます。
これだけで十分にややこしいものです。

歩行では、何人ものすれ違う人達が、痙性歩行でカクカクと、内股で歩く私の足元を見ます。

そんな悲しい思いは慣れましたが、お気に入りの靴のつま先は、すぐに傷だらけとなり、財布の痛手となります。

電車に乗ると、自分の身体の不自由や痛みより、他の人のことが気になります。

電車内では、ほとんどの人がスマホを見るか、眠っているか、眠った振りをしているのか?

もちろん皆さん疲れていることでしょう。
運賃も支払っています。
以前の私も同じ気持ちだったと思います。

でも今は電車のドアが開くたびに、「困った人が乗って来るかも」と、気を使います。

こんな場面を何度か体験しています。

困った方に、「こちらへどうぞ」
そう声を掛ける方のほとんどが、体育会であろう元気な学生か、初老の方、そしてなぜか身体が不自由で痛い私です。

なぜ初老の方なのか?
なぜこんな私なのか?
それは人の気持ちが分かるからです。

「どうぞ座ってください」
私もそう声を掛けられることがあります。
それでも、「すぐ降りますから。ありがとうございます」
そうお断りします。
その温かい気持ちに、ホッとするだけで十分です。

病人なりの意地というか、今の私の姿を見ると、「スポーツで怪我をした人?」
どちらかと言えば、そう思うことでしょう。

だから座るよりも、痛みを我慢して、手すりを持って立っていれば、何も気にすることなく気楽です。
障害者なりに気を使います。

「痛みが見えたらいいな。少しは楽だよな」
そう思うことがあります。

今、書きながら思います。
「ありふれた無難なことを書いているな」
そう思います。

本当に書きたいことは、このようなことではありません。
でもここでは書けませんので秘密とします。

日々、日常のささいな不満は私の頭の中で暴れ狂っております。
それらを抑えて、1/1,000%くらいを書きました。

最後に、気分を変えて、大きな視野で、今の混乱する世の中が、早く幸せになりますよう、そんなイメージを落書きしました。

ありがとうございます。