私が夕飯を作る三つの理由、そして気付いたこと…
施設利用者のH.O.です。
母と二人で暮らしていますが、最近、夕飯を作る機会が増えてきました。週の半分以上は私が作っています。
そんな中、母が私になぜ夕飯を嫌がらずに作るのかときいたことがあります。それについて思うことを書いてみました。
まず、料理が上手いか下手かは別にして、基本的に料理に伴う、切ったり、きざんだり、煮たり、焼いたり等といった作業が好きなようです。じゃ、凝った料理を作るのが好きかというと、そこまでは好きではないようです。1~2時間程度で作れるものがいいようです。また、手元にある食材からどんな料理を作るかググるときは、最初に持ってくる単語に必ず「簡単」を付けています。
多分、面倒くさがり屋が料理好きになるとこんな感じなるのではないでしょうか?(料理好きというのは、おこがましい気もしますが…)
面倒くさがり屋でも残念に思うことがあります。それは夕飯を作る機会が増え始めた頃、主に冷蔵庫等で発見される数々の遺棄された食材達でした。重複買いや賞味期限が近いものから料理を使ってしまう等のフードロス対策の努力をしているにもかかわらず、つい先日も変わり果てた姿のブロッコリーが発見されました。
その一方で、食材の管理の工夫(少し大げさな表現ですが…)によりフードロスを減らすことが出来たときは、密かにある種の達成感を感じています。これも夕飯を作るモチベーションの一つになっています。
しかし、前者二つと比べても、おそらく最も強いモチベーションとなるのは、人から「美味しい」といわれることだと思います。特に私の場合、子供たちや妻から言われると嬉しさが一入です。
今は、母と二人ですので、母を相手にしか夕飯を作れません。母は私が作ったものを、ひどく失敗した場合は除いて、ほぼ何でも「美味しい」と言って食べてくれます。それが料理を作った労に報いた言葉なのか、それとも本当にそう思ったのかは不明ですが…
しかし、ある時、私は母に心から「美味しい」と言われたがっている自分に気が付きました。と同時に、自分が美味しい物を食べたときに作ってくれた人にちゃんと「美味しい」という気持ちを伝えてきたのかなと思いました。
「美味しい」と思っても、茶化して表現したり、「美味しい」ときかれてもただ頷くだけだったのかもしれません。今更ながら気づかされました。
私が夕飯を作る理由について三つあげてみましたが、最後は料理を作ってくれた人の思いにほんの少し触れた様な気がしました。
最後に、夕飯を作る理由に親孝行はないのかと言われそうですが、無論あります。しかし、今回は「私になぜ夕飯を嫌がらずに作る」という疑問に答えるため、私が嫌がらない理由について書かせてもらいました。