傾け過ぎにご注意!!
皆様、こんにちは。
埼玉県北本市の就労移行支援事業所「てんとうむし北本」の当事者スタッフ、うつ病と共に生きる富木です。
今回は、昔話を一つ。
長くなってしまいましたが、良かったら聞いてください。
私は、十数年前?ウン十年前にIT業界に従事していました。
あまりそう考えたことはありませんでしたが、今から振り返ると当時の花形の人気職業の一つでもあったように思います。
今回はそのIT業界のもう一つの側面についてお伝え出来ればと思います。
注.あくまでも当時の業界の話です、参考程度にお願いします。
また、現在はIT業界から離れていますので、最近のことは分かりかねます。
当時のIT業界はかなり活気があり、いわゆるIT系ヴェンチャー企業も続々と誕生していました。
様々な環境のプログラマ、エンジニアが溢れ、クライアント企業様も業務のデジタル化に強い関心を持っていたように感じました。
(現在より、各企業がシステム投資に関心が強く、金銭的にもまだ余裕があった頃のように思います)
しかし、その押せ押せの雰囲気が災いしたのか、営業部門が工数(作業規模)的に常識的な範囲内では納期に間に合わないような無謀な仕事を請けて来てしまうというようなことが、業界全体で多発していたらしく、現場で働くエンジニア達へ負担をかけることが少なくありませんでした。
常識的な範囲内では間に合わないなら、非常識な勤務体制で間に合わせようというプロジェクトがそこかしこにありました。
無謀な作業量に対応する為、現場で働く者達は、泊まり込んだり、徹夜したり、休日返上をするのが、当たり前という状況でした。
標準の労働時間が、月間160時間~180時間だと仮定して、その倍、つまり残業時間が160時間や180時間になる、などということが、常態化していました。
実に恐ろしいことです。
(幸い私は残業代の支払いがある企業でしたが、企業によっては残業代の支払いの無い企業もあったのだとか)
大病を患ったかのように劇的に体重の減少する方や、許容量を超えたストレスに精神疾患を発症する方、私の知人にではありませんが、誰かしらの知人には、失踪してしまったり、自○してしまった方もいたという話を聞きました。(実際にそういう報道も)
当時でも、高度な専門技術を必要とする収入もそこそこの仕事と思われることが多かったのですが、上記のような真っ黒な労働環境が知られるにつれ、「IT土方」という蔑称で呼ばれるようになりました。
今から考えると本当に異常な環境だったと思います…。
現在では労働環境は改善されているという話ですが、実際のところは良く分かりません。
当時、私自身も月間400時間超の労働をしていましたが、当時まだ新婚で、第一子も乳児であり、その時期に週に何日か着替えとシャワーの為だけに帰宅するような状況で、一瞬だけ見る我が子の寝顔で何かが壊れそうなギリギリのところで踏みとどまるという感じでした。
あの当時、私自身がよく壊れなかったなと本当に不思議です。
そのせいで私自身はストレスに強いかと勘違いしていました、お恥ずかしい限りです。
もちろん、心身共にボロボロではありました。
残業代だけで基本給の2倍近くになり、基本給の3倍に近い給与が振り込まれる為、夢はあるかもしれません。
しかし、その生活を続けるのは「危ない」という風に感じました。
当時、初めて「ワークライフバランス」という言葉を知り、私は働き方を変えることを決意しました。
もちろん、収入は減りましたが、家族と過ごす時間が増え、私の生活の質は劇的に改善されました。
何かを犠牲にして何かを得るというのは、資本主義の原則かもしれません。
何においても良い面と悪い面があり、光と影と言えるかもしれませんが、この光と影のバランスもとても難しいです。
物事の良い面だけ見ては駄目だと伝えたいのですが、その逆、つまり悪い面だけを見ていても駄目だと思います。
派手に見えるお仕事にも地味な面があり、努力や忍耐が求められる場合もある、と改めて振り返って頂ければ幸いです。
何においても「バランス」を取るのは難しいです。
常に何かとバランスを取っていくのが「人生」なのかもなぁと思った次第です。
最後に、今回の話に他者を攻撃したり、特定の職業を貶めたり、苦労自慢をするなどの意図は全くありません。
もしそうお感じになる方がいらっしゃいましたら、偏に私の文章力不足のせいです。
心よりお詫び申し上げます。
今回、長くなってしまい、申し訳ありませんでした。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
それでは。